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フィリピン青色吐息(仕事)
 本当にフィリピンでの商売は難しいですね、僅かなお金で遣るのは、でも遣らないとフィリピンで生きて行けないし、大金があれば、銀行利息だけで食べて行けますがね。でもそんなお金有る訳もなく、しかし何とかしなければ・・・・・・・・・・
私はマグサイサイでは見た目、金持ちと見られていますが、実は2005年の1年で大半のお金を使い、今は殆どお金の無い貧乏な男です、ですからどうしてもココで利益を生む仕事をしなくては行けません、昔しですが金貸しをして、見事に失敗してコソコソと日本に帰国した覚えが有りますから、金貸しはしたくありません、しかしマグサイサイで生きて行くには、少しはお金を貸さないと恨まれます、それで無利息で融資をしています、無利息ですと回収率、今は100%です。しかし此れでは慈善事業ですからね、食べて行けません、それに食物商売は競争相手が多くて出来ません、ミリエンダは利益が少なく、私ら夫婦が食べて行きません、それで友人の薦めで2004年12月からPCを使いチャツトビジネスを始めました。
資金も少し使いましたしたが、利益もそこそこで、来れはいけるかな?と思いましたが、若いタレントを沢山使うので、妻の猛反対で2005年3月で辞めましたね、これが1回目の失敗ですね、当然損ですよ。
次に考えたのが、アイスキャンデー屋です。利益が薄く、月に200ペソも成りません、利益倍増を計り値上げをしたとたん売れ行きサツパリです、本当に売れなくなりました。そこで今フィリピンで流行の飲み物コーラー(商品名サクト)の販売をしました、此れも強豪が沢山居ますので利益薄です。お金はドンドン無くなるし、焦るし、危機感が募ります。
ある日、お金を払うから、2×2の写真が欲しいと、依頼がありました、つまり証明写真ですね、何の知識も方法も判りませんが、機材は有るし、出来ない訳はない、兎に角写真を写しプリントした写真を物差しで計り、はさみで2×2のサイズに切りました。この時に閃きました、「よし!写真屋を遣ろう!」と、思いつき妻の反対を押し、PC部屋をスタジオに替えて始めました。
流石、おいらは日本人ですね、勉強しましたよ、ネツト仲間の方からも情報を聞き、パサイのハリソンプラサの日本人経営の写真屋からも指導を仰ぎ、これこそ五霧夢中・無我無中でロイダと懸命に歩きましたね、はじめは高い印画紙・インキを買いましたが、半年くらいしてくると、写真屋も客が多くなり、反対していたロイダも懸命に遣るようになり、また賢く成りましたね、歩き廻ると見えて来るのですね、本当に1年は勉強で、高い授業料も払いましたし、高い機材も買いました。PCも2台も壊し、プリンターも4台目ですよ、こんな貧民屈のど真ん中で客が来るのかも心配でしたが、今や遠くからも客は来ます。

当たり前の話ですが、少しづつでも利益が上がれば確実に生き延びられる事、間違い無しです、当時アイスキャンデーとコーラーを更に10月から始め、おもちゃ屋と色々と始めました、10月にアイスキャンデーを値下げしました、そうしたら突然爆発したかの様に猛烈に売れだし、写真屋も軌道に乗りました。2005年12月25日写真屋が大爆発しました、猛烈な客が来ましたよ。それは朝8時から始まり、夜10時まで、10時と言うのも私が疲れてしまい、インキが無くなつたからと言い、無理やり閉店しました。これは忘れられない1日でした。それにおもちゃも売れ、花火も売れ12月は最高の月に成りました。
今後は、写真屋を本格的に遣りたいと計画はありますが・・・・・・・・・・・・・

2008年2月頃から異変が、突然客の量が減りました、それは価格と近くに写真屋が出来、また2007年11月と12月を休みましたので、その影響が・・・・・・・
私は写真屋を続ける為、日本帰国の時PC2台、カメラ・プリンターとかなりお金を使いました、今客が減り頭が痛いです。
こんな写真を写し販売しています。右の写真はIDで5枚30ペソ,これが1番儲かります。Lサイズ1枚 でいけますから。 屋号はスタジオ キャプテン・サント です。
証明写真 財布サイズ LLサイズ ハーフサイズ A4サイズ

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